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こんにちは、KEIGOです。
日本のプロ野球界のみならずアメリカのメジャーリーグでも活躍した
佐々木主浩さん。
現在はたくさんの競走馬を所有し、
数々の大きなレースで優勝するなど話題になっていますね。
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プライベートでは美人な奥様と再婚し、
公私とも充実した生活を送られているのではないかと思います。
佐々木主浩さんといえば最近知ったのですが、
プロ野球界で史上最高年俸を貰った人で現在は読売ジャイアンツに所属する
菅野智之投手と同率でトップだそうです。
今回は、そんな佐々木主浩さんの現役時の成績と、
プロ野球界史上最高年俸ということで佐々木主浩さん以外の高額年俸だった選手をご紹介していきたいと思います。
佐々木主浩
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佐々木主浩さんといえばご存知の方は多いと思うのですが、
日本では横浜ベイスターズに所属し、
『ハマの大魔神』という愛称を付けられクローザーとして大活躍されました。
また、海を渡りアメリカでも、
イチロー選手が所属していたシアトルマリナーズでもクローザーとして活躍されていました。
まずは佐々木主浩さんのプロフィールから簡単に見て行きましょう。
佐々木主浩のプロフィール
佐々木主浩(ささきかずひろ)
生年月日:1968年2月22日
年齢:51歳
出身地:宮城県泉氏(現在の仙台市泉区)
身長:190cm
体重:98kg
ポジション:ピッチャー
ドラフト位1位(1989年)
佐々木主浩の経歴
小学4年生で野球を始めた佐々木主浩さんは、
エースで4番を務めチームの中心に。
将監中学校に進学すると、
野球部に入部しますがエースがいたため佐々木さんは主に野手として出場。
中学卒業後、東北高校に進学し、
2年生の夏からエースとして活躍。
3年生の春と夏共にベスト8とチームに貢献しました。
そして野球の名門大学東北福祉大学へ入学し、
2年生と3年生の時に全日本大学野球選手権大会で準優勝に輝いています。
この時。東北福祉大学は黄金期で、
現在の阪神タイガース監督の矢野輝弘さんや、
前阪神の監督金本知憲さんもチームメイトでした。
そして1989年のドラフト会議で大洋ホエールズから1位指名を受けます。
当初はプロ入りに消極的で拒否していましたが、
球団に何とか説得されプロ入りを決意します。
契約金6000万円、年俸600万円、背番号22
背番号22を選んだのは、
佐々木さん自身が2月22日午後2時22分生まれということにちなんだ番号になっています。
プロ入り後、
1年目は抑え投手がいたため先発として7試合に登板し、
2勝4敗2セーブ、防御率5.85という結果に終わりました。
2年目に入り途中までは先発で起用されることもありましたが、
スタミナ面に問題があると首脳陣は感じていました。
そんな時抑え投手だった遠藤一彦投手がケガで離脱したため、
思い切って佐々木さんを起用したところ以外にも安定した結果を収めることになります。
このシーズンは6勝9敗17セーブで防御率2.00という素晴らしい結果を残します。
そこから不動のクローザーとして活躍し数々のタイトルを獲得していき、
1998年にはついに日本シリーズ第6戦で勝利、
胴上げ投手となり自身初の優勝を勝ち取りました。
そして1999年シーズン途中にFA権を所得し、
よく2000年にFA権を行使し、
夢だったメジャー挑戦を表明。
シアトルマリナーズと契約し年俸1200万ドル+出来高の3年契約となりました。
2003年まで『家族と一緒に暮らすため』とマリナーズを退団するまで、
色々とありましたが、
クローザーとして活躍されました。
そして2004年には日本プロ野球界に復帰します。
この時横浜ベイスターズと結んだ契約が現在史上最高年俸となる
6億5000万円の2年契約を結びました。
引退まで2年間横浜ベイスターズに在籍しますが、
思ったような結果は残せませんでした。
佐々木主浩の現役時の成績は?
佐々木主浩さんの現役時の成績はというと、
大洋・横浜時代は1995年から1998年にかけて4年連続でセーブ王を獲得。
また1998年には当時の記録となる年間45セーブを獲得しました。
シアトルマリナーズ時代はタイトルこそ獲得できませんでしたが、
入団1年目の2000年から2002年までの3年間30セーブ以上、
2001年には自己最高の45セーブを挙げました。
佐々木さんはタイトルも数多く獲得されています。
・最優秀救援投手 5回(1992年、1995年~1998年)
・最優秀選手 1回(1998年)
・ベストナイン 1回(1998年)
・最優秀投手 1回(1998年)
・正力松太郎賞 1回(1998年)
などなど日本のプロ野球ではこんな感じ
MLBでは2000年に
・新人賞
を獲得しています。
過去年俸最高額は菅野智之と同率トップ
しかし佐々木主浩さんの成績を見てみると、
日本では活躍していた印象を受けていたのですが、
セーブ王に輝いたのは4回で、メジャーでも最初は注目されましたが、
その後成績も下降の一歩をたどっています。
年俸6億5000万円を佐々木主浩さんに支払う価値はあったのでしょうか?
それもメジャーリーグから戻った2004年なので、
契約後はほぼ活躍できていませんし・・・
今の菅野智之投手とは少し比べるとかわいそうな気もしてしまいます。
そこで、
日本人プレーヤーで名実とも素晴らしい成績を残した選手の最高年俸を見てみましょう。
有名選手の最高年俸
松井秀喜
松井秀喜さんは現在もニューヨークヤンキースでの指導やフロントとして活動誰ていますが、
現役時は読売ジャイアンツで主砲として君臨し、
メジャーリーグでも超名門ニューヨークヤンキースで4番を務めるなど、
日本だけではなく世界的にもスーパースターですが・・・
日本での最高年俸はというと、
2002年に読売ジャイアンツに在籍していたとき年俸6億1000万円。
佐々木主浩さんには4000万円およびませんでした。
イチロー
2019年の日本での開幕戦で引退を発表したイチローさん。
彼はメジャーリーグでの成績は大記録を数々打ち立て、
もうすでに何十年も越えられないものもあるくらいです。
イチローさんの最高年俸は2000年にオリックスに在籍していたときに、
年俸5億3000万円です。
ダルビッシュ有
ここ最近少し不調で、
試合に登板しファーボールを出すとブーイングが起こったりしていますが、
ダルビッシュ有投手もメジャーリーグでの経験も豊富でまだ現役ですね。
最高年俸は日本ハムファイターズ時代の2011年で
年俸5億円。

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これだけのスター選手たちでも佐々木主浩さんの年俸には及びません。
理由としては佐々木主浩さんはメジャー帰りで、
マリナーズからは1200万ドル貰っていたわけですが、
6億5000万円でも約半額ですよね。
球団からしてみると高すぎだけど最大限の経緯をはらったのでしょう。
ちなみにメジャーリーグ最高年俸は?
メジャーリーグはけた違い!!
ワシントンナショナルズに所属している
マックス・シャーザー投手が年俸3740万ドル(約41億円)!!!
もうわけがわかりません。
高額年俸20位にダルビッシュ有投手が入っていて、
年俸2100万ドル(約23億円)とこちらもけた違いですが、
活躍が少しともなっていませんね。
さいごに
佐々木主浩さんについてお話してきました。
日本野球界の最高年俸6億5000万円という破格の金額を貰っていたんですが、
少し成績は伴っていないですね。
これからや球界でも活躍されるかもしれませんが、
競馬界でも活躍されると思うので注目してみていてくださいね。
以上、KEIGOでした。
最後まで読み進めていただきありがとうございました。
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