こんにちは、KEIGOです。
現在もデビュー時と全く変わらず女優として活躍されている
原田知世さん。
1980年代はアイドルとして絶大な人気を誇り、
いつまでもお美しいですよね。
今回は、原田知世さんについていろいろ調べてみましたので見ていきましょう。
まずは、プロフィールから
原田知世
View this post on Instagram
本名:原田知世
生年月日:1967年11月28日
年齢:51歳
出身地:長崎県長崎市
身長:160cm
血液型:A型
職業:アイドル→女優・歌手
原田知世さんがデビューのきっかけとなったのは、
1982年14歳の時に
『角川・東映大型女優一般募集』というオーディションに参加して、
特別賞を受賞しました。
なんとデビューして長崎から上京するとき、
原田さんのことを大変心配してかお母さんも一緒に上京し暮らします。
デビューしたときから今まで家族のサポートがあったからこそ続けてこられてと、
原田さんは以前おっしゃっていたのでその理由がわかりますね。
そんな中、テレビドラマ『制服と機関銃』の主演に抜擢され、
女優デビューすることになります。
実はデビュー当初から薬師丸ひろ子に続く大型新人
ということで話題をさらい、
薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の3人を
『角川3人娘』と呼ばれていました。
今とは少し違い、
アイドルが主演する映画がたくさん製作され人気になっていましたから、
原田知世さんを含むこの3人は人気もけた違いでしたね。
その後1983年には映画『時をかける少女』で映画に初出演、
しかも主演というだけでも驚きですが、
日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞されています。
View this post on Instagram
この映画の主題歌を原田知世さんが歌いなんと売り上げ枚数58万枚と大ヒット。
今も原田知世さんは曲を作りだしていますが、
自身の売り上げ最高はこの『時をかける少女』の主題歌ですね。
それほど日本中を話題に巻き込んでいたのでしょうね。
この先も原田知世さんが出演する映画は軒並みヒットしていきます。
1984年には『愛情物語』、『天国に一番近い島』に主演します。
またこの2作品についても同じく主演映画の主題歌を売り出し、
大ヒットしていきます。
1985年には映画『早春物語』に主演し、また、
主題歌を歌ってこの年の紅白に出場します。これが紅白初出場でしたね。
社会現象にもなった『私をスキーに連れてって』
1987年に映画『私をスキーに連れてって』に主演し大ヒット。
当時、
スキー場が大混雑して社会現象になりましたね。
80年代後半から90年代のスキーブームの火付け役となったといわれています。
しかし、この映画の主題歌を歌っているのは松任谷由実さんですよね。
原田知世さんが歌う予定にもなったみたいですが・・・
原田さんが歌っていたら、
また違った雰囲気になっていたのでしょうね。
これ以降もたくさんの映画やドラマに出演していきます。
また音楽活動にも積極的に力を注いできました。
原田知世さんの結婚そして離婚
順風満帆だった原田知世さんは2005年に結婚されています。
38歳と意外と結婚したのは遅かったんですが、
お仕事を精力的にこなしていくうちに結婚よりも仕事を選んでいたようです。
お相手はイラストレーターのエドワツキさんという方でした。
しかし、結婚生活も8年で終わってしまいます。
お子さんもいませんでした。
こんなにかわいいのに離婚後結婚できないのは?
原因の一つは北野誠という男の原田知世さんの変わった趣味をカミングアウトされてしまったこと。
View this post on Instagram
最近テレビ等ではお見かけけしなくなりましたが、
この北野誠氏が『女優H』としてよからぬ趣味を暴露します。
この『女優H』が原田知世さんということですが、
過激すぎてここには書きませんが・・・
そういう不名誉な噂ってなかなか消えませんよね。
それが結婚できない直接な理由なのかは本当のところどうなんで承ねえ。
原田知世さんの画像
最近よく原田知世さんはインスタグラムで画像をアップされています。
最近の原田さんは
View this post on Instagram
View this post on Instagram
こんな感じです。
いつ見てもいつになってもお美しい方ですね。
いつまでもきれいでいてほしいです。
まとめ
原田知世さんについて調べてみましたが、
あらためて原田知世さんが長きにわたって芸能界で活躍されているなあと感じました。
これだけ長く活躍するのは簡単なことではないと思いますよ。
まだまだ原田知世さんが活躍していってくれることを期待しています。
以上、KEIGOでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント