学研【科学の教室】中川浩が大ヒットへと導いた苦労、障壁を乗り越えた物語

アンビリバボー

 

障壁⑥ 付録を作成

 

さあいよいよ企画が通り、

発売まで5か月。

 

初回の付録は各誌決まりました

 

1年 てんき しらべすたんぷ せっと

2年 風しらべジェット機

3年 水さいばいセット

4年 ポンプセット

5年 解ぼう器

6年 金属鉱物・岩石標本セット

 

発行部数は各誌2万部に設定。

 

付録の材料を集めるのに各担当は苦労し、

駆けずり回り何とか出来ました。

 

障壁⑦ 編集体制

 

いよいよ新学期を迎え新しい『科学』が世に出ていくとき。

 

中川氏はある程度行けるのではないかとの感触はあったが、

実際に販売がスタートすると、

代理店からの注文は予想をはるかに上回ったものでした。

 

『科学』の魅力、付録に子供たちは心を奪われ、

たくさんの先生方も支持してくれました。

 

2万部と決めて発行していたし、

次号の製作にも取り掛かっていたせいで増刷は難しいものでした。

 

全国各地から追加注文が続々と寄せられ、

その中には注文に応じてくれなければ今後一切『科学』は扱わないということも言われた。

 

仕方なく増刷決定。

 

増刷するとなれば印刷するのと同時に付録ももう一度集めなければなりません。

 

担当者たちはまた駆けずり回ります。

 

そんなこんなで発行部数は6月号では2倍、

8月号では3倍に、

11月号ではついに各誌とも10万部を突破しました。

 

しかし、嬉しいことばかりではありませんでした。

 

『科学』が売れることで編集の担当者たちは仕事に追われ、

疲れもピークに達していました。

 

 

雑誌は3か月分を同時に進行して、

これを担当者各誌2,3名でこなしていました。

 

無理だろうと考えた中川氏は『3年の学習』の編集で一緒に仕事をしていた、

新人2人を回してもらいます。

 

でもそれでも足りない、せめて各学年に1人ずつ欲しい。

 

しかし、各部署も人が足りない状況は同じでどこを探しても見当たらない。

 

仕方なく中川氏は考えた末に、

外注できる仕事はないかを考えます。

 

ここから発行部数も格段に増え、

複雑に外注する業者を確立して今に至ります。

 

175万部達成!!!

 

1965年10月に『科学』編集部員たちは社長から高級料亭に招待されました。

 

そこで『科学』の大躍進を遂げた記念に社長から万年筆を送られます。

 

万年筆には『祝175』と書かれていて、

昭和38年の4月からわずか2年半で175万部を達成したお祝いでした。

 

これにはみんな喜んだのと同時に、

長い苦労した道のりを思い出したのでした。

 

さいごに

 

学研の『科学』がここまで苦労して作り上げられてきたものだとは思いもしませんでした。

 

今では誰もが知る雑誌でもこんな苦労があったなんて。

 

最近では『大人の科学』という雑誌が出ていて、

当時お金がなくて買えなかったという40代50代から絶大な人気を誇って、

売れ行きも好調だとか。

 

また学研から新しい何かが出てくることをまた期待しています。

 

 

以上、KEIGOでした。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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