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工藤一良【元マラソン選手】の現在。オリンピック選考会でなぜ瀬古か?

スポーツ
hbieser / Pixabay

こんにちは、KEIGOです。

 

9月11日にTBS系列で放送される

 

『マラソン・グランド・チャンピオンシップ

東京五輪代表をかけた運命の決戦へ』

 

が放送されます。

 

このなかで過去マラソンのオリンピックの選手選考で

順位なのか?

 

タイムなのか?

 

実績なのか???

 

選考される側の選手も

見ている私たちもなにかすっきりしないような・・・

 

見ていてとても分かりにくい選考システムだったため

あいまいな選考基準でオリンピックの夢の舞台に

立てず涙をのんだ選手たちは数多く存在します。

 

そんな中で1980年代から1990年代にかけて

マラソン選手として活躍された

工藤一良さん

 

工藤さんもソウルオリンピックの選考で実力はあるのに

なぜか落選し悔しい思いをされた方の中の1人です。

 

そんな元マラソン選手工藤一良さんのプロフィールと

現在何をされているのか?

ソウルオリンピックの選考で工藤さんではなく

なぜ瀬古さんが選ばれたかなどを詳しく見ていきたいと思います。

 

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工藤一良【元マラソン選手】

 

工藤さんは冒頭でもお話しした通り

1980年代からマラソン選手として活躍されてきました。

 

そんな工藤一良さんのまずは

プロフィールから見ていきましょう。

 

工藤一良【元マラソン選手】のプロフィール

 

 

 

工藤一良(くどうかずよし)

生年月日:1961年2月27日

年齢:58歳

出身地:青森県

マラソン自己ベスト:2時間10分59秒

 

工藤一良【元マラソン選手】の経歴

 

工藤さんの経歴を見てもらえれば

マラソン選手としての凄さがわかっていただけることでしょう。

 

工藤さんは名久井農業高校に入学してから

陸上長距離で実力を発揮していきます。

 

高校2年生の時には

全国高等学校駅伝競技大会に1区で出場し

区間13位でしたが

高校3年生になるとこの1区の区間賞を獲得するにまでなりました。

 

その才能を見初められ

高校卒業後は当時名門だったリッカーの陸上部に入部します。

 

リッカー株式会社は現在存在しませんが

当時はミシンメーカーとしてとても有名でした。

 

でもこの時まだマラソンの経験はなく

リッカーに入部してからは得意の駅伝のほかに

トラック競技でも活躍していきます。

 

リッカーに入部してからすぐに

十和田八幡平駅伝競走全国大会で1区に抜擢され

3位と好成績を収め

4年後の同じ大会でも3区を任され

区間賞を獲得するという活躍を見せ

リッカーの優勝に大きく貢献しました。

 

しかしこの次の年からリッカー陸上部は休部することになり

工藤さんは当時監督だった白水氏の誘いで

日産自動車陸上競技部へと移籍します。

 

日産に移籍した年に同じく十和田八幡平駅伝競技全国大会で

5区を快走し区間賞を獲得。

 

日産の優勝にも大きく貢献しました。

 

その後は毎年のようにニューイヤー駅伝にも出場し

チームの優勝に貢献するなど活躍されていました。

 

21歳でマラソンという競技に目を向け

1982年に毎日マラソンに出場します。

 

なんと初マラソンで堂々の2位に入り話題になりました。

 

しかし

その後は少し低迷することが多かったのですが

1986年の福岡国際マラソンに出場し

4位と好成績!!

 

復活をアピールすることが出来ました。

 

 

 

工藤さんは見事復活を果たしました。

 

オリンピック選考会でなぜ瀬古か?

 

ここからが工藤一良選手の人生の分岐点となる部分。

 

1986年の福岡国際マラソンに続き

翌年も同じ大会に出場することになるのですが

この大会は日本陸上競技連盟(日本陸連)が

ソウルオリンピックへの選考大会と位置付けていた。

 

当時マラソン戦国時代で

たくさんの有能な選手がいて

中でも中山竹通選手や新宅雅也選手

そして瀬古利彦選手など猛者たちがライバルとして君臨していました。

 

その中でこの福岡国際マラソンの成績は

中山竹通選手が見事優勝!!

 

そして新宅雅也選手が2位、

工藤一良選手は総合4位、日本人3位でフィニッシュ!!

 

これでソウルオリンピックの代表はこの中山・新宅・工藤

で決まりかと思われていましたが

日本陸連は試合後、

中山選手と新宅選手のオリンピック内定を発表しましたが

工藤選手に対しては

マラソンの経験不足を理由に保留とされてしまいます。

 

ちなみにこの福岡国際マラソンには瀬古利彦選手は

怪我のため出場できませんでした。

 

この時の国民の憶測は瀬古選手が休んでいるから

工藤選手が保留になったんじゃないの??

 

となっていました。

 

一発選考会として福岡国際マラソンを選んだのに

工藤選手が活躍したことで日本陸連は

東京国際マラソンや琵琶湖マラソンの結果を見て内定者を決めると

変えました。

 

この選考基準の不透明さと

不公平さが問題になり

現在のマスターズ・グランドチャンピオンシップを開催することで

問題を解消したわけです。

 

話を戻して

この後琵琶湖マラソンで瀬古選手が優勝したことを受けて

3人目のオリンピック内定を瀬古選手に出し

工藤選手は補欠に回ることとなりました。

 

工藤選手に悔しさはあったでしょうが

補欠になった直後出場した

ロンドンマラソンでは自己最高記録で3位に入りました。

 

オリンピックで腐らず

その後も頑張ろうとする工藤選手は本当に素晴らしいアスリートですね。

 

 

工藤一良【元マラソン選手】の現在

 

1993年の上尾マラソンに出場することを最後に

工藤一良選手は引退しました。

 

その後すぐに選手からコーチへと転身し

選手時代に所属していた日産自動車や

しまむらのコーチを務められ

2008年には日清食品の陸上競技部のコーチになり

2010年と2012年のニューイヤー駅伝の優勝に

指導者として大きく貢献しました。

 

その後は2016年より現在まで

愛知製鋼の陸上部のコーチとして頑張っておられます。

 

さいごに

 

陸上に限らず日本のスポーツ協会は

私物化したり不透明な部分が多かったりと

アスリートよりも話題になることが多々ありますけど

アスリートが世界で活躍するためだけを考えてほしいものです。

 

私利私欲のためにやっていて

スポーツで貢献します!!って言っても説得力ありませんから!!

 

本当にお願いしますよ!!

 

以上、KEIGOでした。

 

最後まで読み進めていただきありがとうございました。

 

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